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- 書籍「岩田さん。岩田聡はこんなことを話していた。」の内容が知りたい
- 岩田聡さんの考えが知りたい
- 任天堂元代表取締役社長のことが知りたい
ほぼ日刊イトイ新聞に掲載された岩田聡さんのことばを再構成した書籍です。
任天堂の社長として、ニンテンドーDS、Wiiといったゲームを世界に届けた方です。
そんな岩田さんの数々の「ことば」と「人生」が詰まった一冊です。
書籍「岩田さん。岩田聡はこんなことを話していた。」の内容を紹介します。
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任天堂 岩田さん(ほぼ日)第一章:岩田さんが社長になるまで

高校時代。プログラムできる電卓との出会い
高校生のときにプログラムできる電卓と出会います。
電卓はヒューレット・パッカード社のものでした。
電卓を使いこなし、ゲームを完成させました。それをヒューレット・パッカード社に送ったところ「すごい高校生がいる!」とものすごく驚かれたようです。
さらに、友だちもゲームを楽しんでくれて、自分も嬉しくなりました。
大学時代。コンピュータ売り場で出会った仲間
1978年、池袋の西武百貨店に、パソコンの常設コーナーができた。当時はパソコンが高価で買えなかった。
そのため、パソコンの常設コーナーでプログラムを書いていました。
売り場の店員さんと仲良くなり、店員さんが作った会社HAL研究所でバイトをすることになります。
HAL研究所黎明期
大学卒業と同時に、HAL研究所に入りました。
翌年、任天堂からファミコン(ファミリーコンピュータ)が発売。
何十万もするパソコンよりも1万5千円のファミコンの方が遊ぶのに適していました。
このファミコンが世界を変える気がして、どうしても関わりたかったのです。
ファミコン初期のゴルフやピンボールは、岩田さんはじめHAL研究所がつくったゲームでした。
社長就任と15億円の借金
32歳のとき経営危機が訪れ、33歳のときにHAL研究所の社長に就任しました。
15億円の借金がありましたが、6年かけてなんとか返済します。
危機的状況だった会社では立て直すために、社員と面談をしました。そこで発見があります。
「判断とは、情報を集めて、分析して、優先度をつけることだ」ということが分かりました。
あとは優先順位で進めていくだけです。
半年に1回、社員全員と面談
ひとりひとりと面談すると、色々な発見があり、面談は優先順位が高いことだと分かりました。
それは1対1で話すと、普段話さないことを話してくれることが多かったからです。
面談を通して、自分だったらどんな会社で働きたいかを考えました。
主に2つ「ボスが自分のことを考えてくれている会社」「ボスが自分の幸せをちゃんと考えている会社」です。
そして「人は全員違うし、どんどん変わる」とも思いました。
変わらない人もいますが、人は変わっていくものだと理解しないリーダーのもとでは働きたくないと思いました。
面談で唯一決まった質問があります。それは「あなたはいまハッピーですか?」です。
つくり手(我々)と遊び手(お客さん)がともにハッピーになるのがHAL研究所の目的に決めました。
面談自体は「あいてがスッキリするまで続ける」という気持ちでやっていました。
もし逃げたら自分は一生後悔する
負債が10億を越えても逃げなかった。逃げることはできたけど、逃げたら一生後悔すると思いました。
さらに、開発のトップは自分がやりました。会社全体を見渡し、忙しいところに自分が入り、改題を見つけ解決するためです。
会社が吹き返す契機となったのは「星のカービィ」でした。「星のカービィ」は500万本を越える大ヒットとなりました。
任天堂 岩田さん(ほぼ日)第二章:岩田さんのリーダーシップ

自分たちが問なこととは何か
物事は、やったことがいいことの方が、実際にやれることよりも多い。でも、全部はできないので、自分たちが何が得意かを自覚した上で、優先順位をつける。これが経営だと思います。
苦労した以上に評価してもらえたときは、どんどん成長します。また自分たちは苦労したと思ってないのに、妙に評価してもらえるときは放っておいても、いい結果がでます。
「苦労 < 評価(結果)」が自分の得意なことです。
また、人間は、自分の問なことと他人の不得意なことを比べて「自分は正当に評価されていない」と文句を言うのです。
だから軸を決めて評価をしないと「不公平だ」となります。
会社は個人が苦手なことをさせるのを最低限にして、「得意なことをする集団」にするのがよいと思うのです。
ボトルネックがどこなのか見つける
たくさんの人が並列で仕事をしようとすると、どうしてもボトルネックができます。
ボトルネックがあるのに、人は目の前のことに集中したがります。手を動かしていた方が安心するのです。
そうではなくて、一番問題となっていることは何か?に目を向けることが大切です。
成功を体験した集団が変わることの難しさ
過去に成功して積み上げたものは否定しない。ただ環境や周囲が変わっていきます。否定したいから変えたいのではなく、もっとたくさんの人が喜んでもらえる未来に向けて変えていきたいのです。
いい意味で人を驚かすこと
自分たちが作るものにお客さんは、最初まるで興味がない。そのため、触れて楽しんでもらうまで線でつないでいかないと負けだと思っています。
そして「いい意味で人を驚かせる」ことをミッションにしています。驚かすことができなければお客さんは増えないのです。
驚かせるのは、裏切ることでもあるので決断が必要です。例えば、ニンテンドーDSは2画面のタッチパネル式です。多くの人が戸惑いました。
現在の延長線上に未来はないと思い決断したゲーム機でした。それは普通に考えている人にすれば常識はずれに思えるのです。
面談でいちばん重要なこと
世の中の面接って、どうして答えにくいことから訊くのかなって思うのです。
その人のありのままを知るために答えやすい質問から聞きます。
「どうして任天堂に入ろうと思ったの?」こういう質問が答えやすです。
自分の考えや、思いが答えになるので、その人のことが分かります。
安心して「バカもん!」と言える人
新しく社会に出た人は、知らないことだかけが当たり前なので、「知らないことを恥ずかしがらない」でいいのです。
また、どういうわけか新人って説教しやすい人と、しにくい人がいるんです。
説教しやすい人は「バカもん!」と言われながらも、たくさんのことを短期間で学んでいます。
どういう人に「バカもん!」と言いやすいかというと、行動や動機が純粋で悪気がない人です。「バカもん」というとき人格の否定はしてはいけません。
プロジェクトがうまくいくとき
最初の計画では決まってなかったことを「これ、ぼくがやっておきましょうか?」と誰かが処理してくれるとき。
そういう人がたくさんいるプロジェクトは、だいたいうまくいく。
プロジェクトのイメージ「こうなりたい(ありたい)」が共有されていて、誰かが発見して、自然に解決していくことが理想的です。
自分以外の人に敬意を持てるかどうか
働くことは、ひとりではできません。みんな力が集まってよいものが生まれます。
誰かとつながりながら、何かをやり遂げようとするとき、自分以外の人たちに「敬意」をもてるかどうかが大事です。
自分にないものを持っている人はたくさんいます。そういう人たちとお互いを認め合いながら進めていくのです。
任天堂 岩田さん(ほぼ日)第三章:岩田さんの個性

「なぜそうなるのか」がわかりたい
起こったこと、相手が言ったことを「なぜそうなるのか」をわかりたい。そうしないと気がすまない。
そのために、なぜそうなるか仮説をいつも立てます。仮説と検証を繰り返すうちに段々と分かってくるのです。
ご褒美をつけられる能力
あることを続けられるときと、続けられずやめちゃうときがあります。
これはゲームも同じで、すぐに飽きるゲームと、飽きないゲームがあります。
この差はご褒美なんです。
自分が使った労力が時間に見合ったご褒美が返ってくれば続けられるし、見合わなければやめちゃうのです。
つまり、続けられて上達する人は「ご褒美の見つけ方がうまい人」です。
才能とは「ご褒美を見つけられる能力」
プログラムの経験が会社の経営に活きている
プログラムの世界では間違えは起こらない。プログラムが動かなかった場合は、プログラムを書いた人が原因です。
プログラムではなく、プログラムの外側に問題があるのです。
これはコミュニケーションも同じ。
コミュニケーションがうまくいかなかったら「わからない人だな」と思うのではなく、自分が悪かったのだろう。と自分が変わるようにしています。
それが合理的ならさっさと覚悟を決める
あたらしい何かにぶつかって、今までのやり方が通用しないとき。他の選択肢を考えます。
好きか嫌いかではなく「これは自分でやるのが、いちばん合理的」と思えたら覚悟を決めて自分でやります。
「プログラマーはノーとは言ってはいけない」発言
「ノー」と言ってしまったら、せっかくのアイデアがかたちにならない。最初はできないと思えたことでも、試行錯誤しているうちにできるかもしれません。
なので、軽々しく「ノー」とは言わない。
とはいえ、本当にできないことは「できない」と言う必要があります。
きちんと状況を理解したうえで進めることが大事。
当事者として後悔しないように優先順位をつける
人がよろこんでくれるゴールさえあれば、どれだけ難しい問題でも、当事者として取り組み、解決策を考えてしまう。
でも間口を広げてもすべては解決できないし、自分が使える時間は有限です。
ですから、個人も組織もできることを整理してやっていかなければなりません。
任天堂 岩田さん(ほぼ日)第四章:岩田さんが信じる人

アイディアは複数の問題を一気に解決するもの
「アイディアは複数の問題を一気に解決するもの」これは任天堂の宮本さんが言った言葉です。
何か商品を作る時に、ひとつだけ問題点があり、それを解決すればいい。という状況は少なくて、たくさんの問題があります。
これは商品だけでなく、組織や対人関係もそうだと思います。
だから、1つのアイデアで複数個解決できるものを探す。これがディレクターの仕事です。
宮本さんの肩越しの視線
作ったものが売れないと「なぜ売れないのだろう?」と考えます。
ところが宮本茂さんが関わると、自分が携わるよりも何十倍も売れるんです。プログラムの品質だけで見れば負けてないのに。
宮本さんがやっていたことは、全くそのゲーム開発に関わってない人を1人連れてきてゲームをやらせます。
何も説明せずにやらせて反応を見ているのです。これが肩越しの視線。
これにより、遊ぶ人の躓くポイントなどが見えてくるのです。
コンピュータを的確に理解する宮本さん
プログラムを体系的に学んでいたわけではないですが、宮本さんはコンピュータが何が得意で何が苦手かを的確に理解していました。
なので、やろうとしていることを分解して、シンプルにしてプログラマーに伝えていました。
「MOTHER2」を立て直すふたつの方法
MOTHER2の開発が破綻しかかっていたときに2つ提案しました。
「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。いちからつくり直していいのであれば、半年でやります。」
結果的に、いちから作り直すことになります。
どちらも全力でやるつもりでした。いちから作り直すことになったのですが、実際にはグラフィックや音楽など要素は完成していたので、それを使いながら再構成することでゲームは完成しました。
実際は、それまでに掛けた時間があったからこそ短期間で完成できた。
「MOTHER2」とゲーム人口の拡大
「MOTHER2」はすごくファンに愛されるゲームです。この音楽がいいとか、セリフが泣けるとか。
そこには糸井重里さんの存在があったからだと思います。
糸井さんは一時期ゲームをしていたので、プレイヤーの気持ちがわかるのと、自身のさまざまな経験がセットになって、独自の個性につながったのだと思います。
糸井さんに語った仕事観
「自分は、ほかの人がよろこんでくれるのがうれしくて仕事をしている。それはお客さんかもしれないし、仲間かもしれないし、仕事の発注者かもしれないけど、とにかくわたしはまわりの人が喜んでくれるのが好きなんです」
このようなことを糸井さんに話すと、「オレもそうだ」と言いました。
このときに同じ仕事観をもっていたんだと気づき、距離が近づいた気がしました。
山内溥さんがおっしゃったこと
任天堂社長だった山内さんに定期的に話をきく機会がありました。
山内さんは「任天堂はケンカしたら負ける、だからよそとはケンカしない。」と言っていました。
つまりブルーオーシャン戦略です。新しいハードを作るときも他を真似しても勝てない。全く違うものを作り出すのが大切。
繰り返しいっていたのは「いままでと同じことをするな」です。
任天堂 岩田さん(ほぼ日)第五章:岩田さんの目指すゲーム

わたしたちが目指すゲーム機
Wiiが登場する背景には、デジタル放送が開始して、どの家庭にも大きな液晶テレビが普及したことが関係します。
薄型の大画面がリビングに置かれたことで、ちょっとしたスペースができます。
その環境で遊べるゲーム機を考えたすえに出来たのがWiiです。
単純に性能よりも、どのような環境で遊ばれるのかをとことん考える必要があります。
まず構造としての遊びをつくる
ゲーム機をつくる上で、まず構造としての遊びをつくって、いろんな人がそこに自分の遊びを足したりシェアしたりできるようにしました。
さまざまな遊びを発送させる仕組みを、あらかじめ仕組んでおくんです。
こういうのを入れておくと、あとあと良さそうだ。と先にしっかり判断しておくことが大事です。
この考えは、任天堂スイッチでも引き継がれていますね。
異論からはじめる議論は無駄じゃない
家庭内でゲームが敵視されないようにどうすればいいか、考えていました。
ゲームを1時間と決められた家庭用に1時間たったら電源が切れるように考えました。ゲーム会社の社長なのにひどい話です。
それぐらい振り切らないと新しいことができないと思いました。最終的にこれは親がプレイ時間の見れるようにする対応になりました。
従来の延長上こそが恐怖だと思った
自分たちのやろうとしていることは常に従来の延長線上にはありません。
成功は保証されていないし、大滑りするかもしれない。
違うことをするのがカルチャーですが、恐怖はあります。
しかし同じことをしても、だんだんお客さんも減っていく。こっちの方が恐怖でした。
もう一回時計を巻き戻して同じものをつくる
Wiiのコントローラーは最初につくるものが決まっていたわけではなく、試行錯誤の連続でした。
その結果できあがったものは不思議なほど「ああすればよかった」と思う箇所がなかったのです。
もう一回時計を巻き戻しても同じものをつくるでしょう。
ふたりで作った「スマッシュブラザーズ」
プロトタイプは、桜井くんとわたしふたりで作りました。
企画、仕様、デザイン、モデリング、モーション、すべて桜井くんがやって、わたしはプログラムをひとりで担当。サウンドはもうひとりと、究極の手作り作品でした。
最初の段階で手応えはありましたが、この規模のゲームになるとは当時は思いませんでした。
「ワリオ」の合言葉は、任天堂ができないことをやる
ワリオシリーズがこんなにコンスタントにつくられるとは、当時は思っていませんでした。
「任天堂にできないこと」とは宮本さんが作りそうにもないものを作る。ということでした。
そういう考えから生まれた「亜流」を誰よりも宮本さんが売ろうとしてたのは非常に面白いところです。
ライトユーザーとコアユーザー
Wiiのコントローラーは「リモコン」という名称です。これは、テレビリモコンのように手の届く範囲に転がっていてほしいという思いからです。ゲームを生活の中に溶け込ませたい。
そして新しいユーザにむけて「脳を鍛えるゲーム」「犬と暮らすゲーム」「勉強するゲーム」「料理をつくるゲーム」を作りました。
そうした中でも「ゼルダ」などの従来のタイトルもつくり続けます。いろんな人を取り込みながら、幅を広げていきました。
すごくゲームがうまい人でも最初はライトユーザです。それを考えると常に新しい人が入り続ける状況はとても大事なんです。
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